これはかなりショックなニュースでした。
1970年台に一斉を風靡したベイシティーローラーズ(BCR)のボーカリスト、レスリー・マッコーエン(Leslie McKeown)が亡くなったのです。
レスリーが亡くなったのは今月20日、この記事を書いている段階では死因など詳細は発表されていません。
65歳という年齢は、私より少し年上ではありますが、ほぼ同世代。
これからまだひと花咲かせることだってできたはず・・・と思うと残念でなりません。
BCRの人気が一番盛り上がっていた1970年台半ばごろ、私自身の洋楽に対する興味もマックス状態でした。
様々なジャンルの作品を聴き漁っていた当時、正直BCRの作品群は少し物足りなく感じられ、同世代の女子たちがキャーキャー言っているのを割と冷めた目で見ていた、そんな立ち位置でした。
それでも彼らのブレイクに火をつけた「バイバイベイビー」(1975年)は大好きな曲でしたし、バンド後期に発表された「恋のゲーム」(1977年)を聞いた時は「ローラーズも大人っぽくなったな」と感じたことを覚えています。
彼らの代名詞だった「タータンチェック柄」は、当時日本の若い女の子たちの間でも大流行していましたっけ。
そしてもうひとつ思い出すのは、レスリーが大の親日家だったことです。
確か奥様は日本の方だったと思いますし、メンバーを代えながら何度も「ベイシティーローラーズ」として来日し、ライブを行っていました。
ローラーズが世界的に人気だった頃から熱心なレスリーファンだったある知人は、自分のSNSの中で、何度目かに来日したローラーズのライブに行き公演後レスリーとハグした!と歓喜のコメントを上げていましたね。
往年のファンたちに、今回のレスリーの訃報はどれほどショックを与えたことか。
特別なファンではなかった私でさえこれほどショックを受けているのですから、その気持ちは察するに余りあります。
バンド自体はパッと開いてパッと散った「花火」のような印象でしたが、間違いなく音楽史の1ページに残る活躍はしたと感じています。
Good bye Leslie,R.I.P.