「ピアノの詩人」と言われるポーランドの作曲家、フレデリック・ショパン。
39歳という若さでこの世を去るまで数多くの作品を生み出し、自らそれらをピアノ演奏して、ピアノ音楽の一時代を築いた人物です。
彼が写っている写真が現存していますが、それを見るといかにも神経質で繊細そうな雰囲気が漂う、線の細そうな青年のように見えました。
ショパンといえば、「男装の麗人」ジョルジュ・サンドとの「愛の逃避行」も有名な話。
SNSが世界中に広がる現代ならば、間違いなく大炎上した案件だったことでしょう。
サンドと同棲生活を始める前からショパンには健康上の問題があったらしく、彼女との暮らしで様々な苦悩を経験していく中、もともと腺病質タイプだった肉体は次第に病に蝕まれていきました。
1849年にパリで亡くなったショパンの死因は肺結核とされており、その葬儀ではモーツァルトの「レクイエム」が歌われたと伝えられています。
そんなショパンの名前を戴いた伝統あるピアノコンクールで、日本人ピアニストが2位に入賞したというニュースは、クラシック音楽にはあまり詳しくない私でも思わず小躍りしてしまうような嬉しい知らせでした。
日本人ピアニスト、 半田恭平氏が2位を受賞したショパン国際ピアノコンクールは、1927年から行われている国際的なピアノコンクールで、現存する国際的なピアノコンクールの中では世界最古。
課題曲はすべてショパンの作品、コンクール出場資格は16歳から30歳までで、本線(ファイナル)に至るまでには、書類やDVDによる予備審査から、予備予選、一次予選、二次予選、そして三次予選と実に5段階ものハードルを突破しなければなりません。
予選を通るだけでも相当な実力とメンタルの強さがなければおそらく不可能と思われるこのコンクールで、日本人ピアニストが2位に入賞するのは1970年の内田光子氏以来ということで、半田氏は一躍時の人となりました。
というか、それは一般の人たちの間で、というお話であって、ピアノファンの間で彼はとっくの昔に超有名人で、今や「最もチケットの取りにくいアーティスト」のひとりになっているのだそうです。
ショパンの作品では、若い頃は「幻想即興曲」が大好きでしたが、年齢を経た今では月並みですが、「ノクターン第二番(別れの歌)」を聞いていると、心に染み入ってきて落ち着きますね。
人の心の琴線に触れるような繊細な作品をたくさん残したショパン。
そんなショパンの世界観を見事に表現した半田氏の今後に大いに期待したいと思います。