その曲名通り、鐘の音が響き渡るようなピアノ曲「カンパネラ」の出だし部分。
作曲家フランツ・リストの「ラ・カンパネラ」は、ピアノによる「三大超絶技巧曲」のひとつと言われ、プロのピアニストでも弾きこなすのは相当に難しい作品として知られています。
そして、日本人ピアニストでこの「カンパネラ」の奏者として最も有名なのは、フジコ・ヘミングさんでしょう。
彼女のことは、名前だけは聞いたことがある、という人も多いかと思います。
そのフジコ・ヘミングさんが、先月21日に92歳で亡くなっていたことがわかりました。
彼女はスウェーデン人の父と日本人の母の間にドイツで生まれ、家族で日本に帰国後、5歳からピアノを学び始めたそうです。
東京芸術大学を卒業後、再びドイツに渡った時にはすでに28歳になっており、ピアニストとしては遅咲きのデビューとなりました。
しかしその才能は着実に評価され始め、前途洋々と思われた矢先、自身のキャリアを賭けた演奏会前にひいた風邪がもとで、なんと聴力を失うというアクシデントに襲われたのです。
演奏家にとって何よりも大切な「聴力」をそんな時に失うなんて、あまりにも過酷すぎる運命です。
失意の中、フジコさんはストックホルムに移住し、耳の治療の傍らヨーロッパ各地で演奏会を継続。
やがて、実母の死をきっかけに海外生活に終止符を打ったフジコさんは日本に帰国しました。
そしてその頃にNHKのドキュメンタリー番組「フジコ~あるピアニストの軌跡~」が放送されると、彼女の名は一躍有名になり、60代の「遅咲きのピアニスト」として改めて評価されることとなったのです。
彼女の演奏としては、特にリストとショパンの演奏への評価が高く、また「ラ・カンパネラ」については、フジコさん自身が生前「分のカンパネラが一番気に入っている」など、フジコ・ヘミングと「カンパネラ」は切っても切れぬ関係であることが、内外共に知られていました。
波乱に満ちたその人生でしたが、彼女は自身の演奏について「少し間違ってもかまわない。機械じゃあるまいし」と語ったことがあるそうで、そのおおらかさも多くの人々の心を惹きつけた理由だったのでしょう。
今年3月の日本での公演も楽しみにしていたというフジコさん。
今頃雲の上で軽やかにピアノを弾いていらっしゃるかもしれませんね。