10年前起きた大地震のことは、おそらく一生忘れられないでしょう。
私が住む首都圏近郊の地域は震度5強の揺れでしたが、幸い大規模なライフラインのストップは免れました。
それでも、本来なら「こんなところから絶対に落ちるはずない」重いプリンタが、仕事机の上から真っ逆さまに落ちたり、家の前の私道に突然亀裂ができたり、水が出にくくなったり場所によっては断水したりと、考えられないようなことがいくつも起きました。
直接的な被害がさほど多くはないとされた地域でさえ、それだけの影響があったのです。
震源地に近く震度7近い揺れが起きた後、大津波に見舞われた地域の方々の恐怖とその後のご苦労はいかほどだったことでしょう。
多分当事者でなければ、本当のところは理解できないと思います。
また震災当時大きな被害を受けた所でも10年の間に復興が進み、活気を取り戻しつつある街がある一方で、原発事故の影響でいまだに故郷に戻れない方達が大勢いらっしゃいます。
一口に「被災者」と言っても、その人が置かれたシチュエーションは十人十色。
当時どんな家族構成で、家族のひとりひとりがどんな状況で「その時」を迎えたのか。
長くその土地に住まってこられたのか、あるいはよその土地から来られた人なのか。
そんな風に、すべての人たちにそれぞれのストーリーがあって、そしてあれから10年の月日が流れていきました。
被災された方たちの数だけ膨大なストーリーが存在することを考えると、そのあまりの大きさに思わずめまいがしそうです。
そして、当事者ではないとどうしても「頑張って、前を向いて」などと声をかけがちですが、前向きになるもならないも、それはその人なりのリズムに任せるしかないものであり、その人の背景に存在するストーリーを知らない他人にあれこれ言われる筋合いはないですよね。
だから私も今日は静かに考えたい。
自分自身、肉親との別れや大切な人の重病、子供の成人などさまざまなことがあったこの10年間を振り返り、次の10年に思いを馳せてみたいと思います。
東日本大震災で亡くなった方々の魂が安らかに平らかでありますように。