10代のころからの洋楽好きを自認する自分にとって、とても悲しいニュースを昨日知りました。
アメリカの音楽界で一時代を築いたザ・ビーチ・ボーイズ」のリーダー的存在、ブライアン・ウィルソンが亡くなったのです。
昨日洋楽仲間のひとりがブログで「ブライアンが亡くなった」という記事をあげていて、その時初めて知りました。
享年82。
晩年は認知症を患い、音楽活動からは遠ざかっていたそうです。
特に洋楽好きではない人でも、「サーフィンUSA」や「サーファー・ガール」といった曲は、多分一度は耳にしたことがあると思います。
1960年代前半のビーチ・ボーイズは、当時のキラキラした「アメリカの青春」を象徴するような数々のヒットソングを世に送り出すバンドでした。
同時代・同時期にイギリスからデビューしてあっというまに世界中のアイドルとなったビートルズと並ぶ、当時の大スターです。
一見全く毛色の異なる音楽性のように見えたこの二つのバンドでしたが、実は深い繋がりがありました。
ブライアン・ウィルソンが次第に内省的・哲学的なものに傾倒し、65年にはツアーから引退して作曲やプロデュースに専念するようになって生まれたアルバム「ペット・サウンズ」は、ビートルズのアルバム「ラバー・ソウル」から影響を受けたことがよく知られています。
さらに、「ペット・サウンズ」によって今度はビートルズの方が影響を受け、「リヴォルバー」や「Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band」などのアルバムに影響が見られた、ということも今では有名な話です。
そのような「相互作用」により、お互いの音楽性がより高められていったことは、音楽界にとっても大きな収穫だったと思います。
「ペット・サウンズ」は、洋楽の傑作アルバムとして不動の地位を得ました。
このアルバムはもちろん私も持っており、今でも時折聞き返すほど、聞き飽きない「普遍性」がある稀有な作品だと思っています。
さて、そんな才能あふれるブライアンですが、彼は若い頃から精神的に不安定になりがちな人としても知られており、薬物依存などでも苦しんだことは有名です。
そのブライアンが1988年に初めてソロとなって、シングル曲「ラヴ・アンド・マーシー」でミュージックシーンに帰ってきた時には、本当に嬉しかったし、曲の素晴らしさにも感動しました。
それからのブライアンは、ソロでコンスタントに活動を続け、1998年からは日本でのコンサートも開催、2012年には「ビーチ・ボーイズ」名義で千葉マリンスタジアムでのコンサートも行っています。
ブライアンのかつての「ライバル」であり切削魔する「盟友」でもあったポール・マッカートニーは、次のようにコメントしました。
「ブライアンには、彼の曲をとても(痛みを感じるほど)特別なものにする“音楽的天才の神秘的な感覚”があった。」
「彼のことが大好きだったし、彼という輝く光のような存在のそばに少しでもいられたことは、私にとって大きな特権だった」
天才が天才に贈る最大級の花向けの言葉だと感じます。
さようなら、ブライアン。
R.I.P BRIAN